向けに開発した夜間・全天候型迎撃戦闘機。愛称はブラックホーク(Blackhawk)。カーチス社が開発した最後の戦闘機でもある。
本機は当初、ジェット攻撃機 XA-43として第二次世界大戦中に設計されていたものであった。1945年2月にアメリカ陸軍航空隊がP-61の後継となる夜間・全天候型戦闘機を要求すると、それに合わせて設計に変更が加えられ、夜間戦闘機としてXP-87の開発が開始された。なお、XA-43は1945年11月に開発中止となっている。
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直線翼の複座ジェット戦闘機であり、エンジンは2基を一まとめにし主翼の中ほどに装備している。水平尾翼の位置は、垂直尾翼の中ほどにある。座席の配置はサイドバイサイドである。武装は、機首に20mm機銃4門と尾部に12.7mm機銃2門を装備する計画であった。当初案には20mm機銃4門を機首の旋回機銃とする案もあった。
XP-87は1947年8月に完成し、初飛行はミューロック乾湖で1948年3月5日に行われた。1948年6月に名称はXF-87に変更され、戦闘機型のF-87Aが57機、写真偵察機型のRF-87Aが30機発注されている。F-87Aでは、エンジンをJ34(推力:1.3t)からJ47(推力:3.2t)に変更する予定であった。しかし、P-61の更新機としてはノースロップF-89が採用されたため、本機の開発は同年10月10日に中止となり、2機の試作機はともにスクラップとして処分された。
概要
乗員:2名(パイロット、通信士)
総生産数:2機
寸法
全長:62 ft 0 in (18.9 m)
全幅:60 ft 0 in (18.3 m)
全高:20 ft 4 in (6.2 m)
翼面積:55.7 m2(600 ft2)
重量
空虚重量:25,930 lb (11,760 kg)
最大離陸重量:49,900 lb (22,600 kg)
動力
エンジン:Westinghouse XJ34-WE-7 ターボジェットエンジン × 4
推力:3,000 lbf (13 kN)
性能
最大速度:600 mph (970 km/h)
航続距離:1000 miles (1,600 km)
実用上昇限度:41,000 ft (12,500 m)
馬力荷重:0.12
武装
固定武装:20mm機関砲 × 4、12.7mm機銃 × 2(計画のみ)
F-86はアメリカ合衆国の航空機メーカーノースアメリカン社が開発したジェット戦闘機。愛称はセイバー(Sabre)である。
アメリカ空軍をはじめ、多くの国で採用されたジェット戦闘機。第1世代ジェット戦闘機に分類される。初飛行は1947年。
武装は当初機関砲のみであったが、後にミサイル(サイドワインダー)が開発されるとその有効性を実証し(ミサイル万能論)、9,860機が製造された。
1980年にポルトガル空軍機の引退により、全機が退役した。
開発
第二次世界大戦末期ノースアメリカン社は艦上ジェット戦闘機案NA-134をアメリカ海軍に提案していた。これを受けて、1945年1月1日、アメリカ海軍は艦上ジェット戦闘機XFJ-1の開発を発注した。これは、P-51の主翼と尾翼をそのまま流用し、胴体のみジェットエンジン搭載の新設計のものに変えた機体である。この機体の開発を受けて、アメリカ陸軍航空隊は1945年5月23日に、XFJ-1の陸上型XP-86の開発を発注した。
第二次世界大戦後、アメリカ合衆国はドイツ国内の占領地から大量の航空機の先進的実験データを得た。このデータを基にノースアメリカン社は、開発中のXP-86の設計を変更し、P-51から流用した主翼・尾翼に代えて、新設計の後退翼を採用した。試作機XP-86の初飛行は1947年10月1日。初飛行前から、性能が期待されたためにP-86A-1として陸軍航空隊に採用された。
この後、陸軍航空隊は陸軍から独立してアメリカ空軍となり、それに伴って使用する航空機の命名法が変更された。陸軍航空隊の戦闘機はPから始まる一連の番号(Pursuiter―追撃機からとられた)が振られていたが、1948年6月から戦闘機にはF(Fighter―戦闘機からとられた)の文字を与えるようになった。そのため、P-86AはF-86Aと改称された。
内部の様子主翼は低翼配置の後退翼であり、涙滴型のコックピットを持つ。ノーズ・インテイクであり、ノズルは機体末端に付けられている。
機銃はインテイク周辺に集中装備となっている。
生産の途中で空力的に様々な改良を受けており、E型以降は全浮動式(オールフライングテイル)の水平尾翼を装備し、主翼についても境界制御型と前縁スラット型の2種がある。
沿革
F-86の名を上げたのは朝鮮戦争における活躍であった。国連軍が朝鮮戦争に参加した当初、金日成の朝鮮人民軍は本格的な航空兵力を持たず、海軍の艦載機グラマンF9F パンサーや米空軍のリパブリックF-84G、ロッキードF-80 シューティングスターなどの直線翼を有するジェット戦闘機、果てには第二次世界大戦中に活躍したF-51DやF4U コルセアが活躍出来る程であったが、中国の抗美援朝義勇軍が参戦すると、鴨緑江を越えて中国軍のMiG-15が飛来するようになり、直線翼のジェット戦闘機では抗しきれないと判断した米空軍は急遽、F-86を投入し、朝鮮半島上空にて史上初の後退翼ジェット戦闘機同士の空中戦が繰り広げられた。
結果、投入から休戦までの約二年間に損失78機に対し、撃墜数約800機と言う、実に10対1の戦果を上げた[2]。その後、その優秀性からF-86は世界各国で採用された。
ミサイル空中戦の先駆
空対空ミサイルが初めて実戦で発射され、撃墜を記録したのは1958年9月24日金門馬祖周辺の台湾海峡において、中華人民共和国の人民解放軍と台湾(中華民国)空軍との交戦とされている。この戦闘において、台湾空軍はアメリカから供与されたAIM-9 サイドワインダーを装備したF-86F戦闘機をもって人民解放軍のMiG-17F(またはJ-5)と交戦、11機を撃墜した。
F-86A
カリフォルニア州サンタ・ローザで、屋外に展示されているRF-86F
ドレスデンで展示されるドイツ空軍のカナディア製F-86
F-86D
セイバードックの愛称は機首の形状からな名付けられた
F-86HXP-86
試作機。3機製造。ノースアメリカン・モデルNA-140。
F-86A
旧称P-86A。554機製造。
DF-86A
無人標的機。
RF-86A
偵察機型、F-86Aより改装。11機改装。
F-86B
A型を改良、大型タイヤと燃料タンクを装備する型。188機発注も計画中止。
F-86C
空気取り入れ口を側面に移してNACA型インテークにするなど機体を大幅に改造。後にYF-93Aに名称変更。「侵攻戦闘機計画(penetration fighter)」の競合(XP-88、XF-90)に参加したものの不採用。試作機2機製造。
YF-86D
全天候戦闘機型の試作機。開発当初はYF-95Aの名称であったが、朝鮮戦争による財政悪化のため、F-86の派生型として採用に至る。2機製造。
F-86D
全天候戦闘機型。F-86を名乗るものの、A型までとは外見から性能まで異なり、部品の共通率も20パーセントにとどまる。その外見から「セイバードッグ」と呼ばれている。大きな特徴は対空レーダーを備えたために飛び出して鼻のように見えるレドーム、ほかのF-86よりもさらに鋭角に後退した翼などである。レーダー搭載戦闘機としては初の単座機であり、操縦もレーダー操作もひとりで行わねばならず「手が3本必要」とパイロットを嘆かせた。性能面では、アフターバーナーを備えて速度を増している。この機体は当時、脅威を増しつつあったソ連の爆撃機を迎撃するため開発され、主武装は「マイティマウス」24連式空対空ロケット弾(無誘導)のみとなっている。なお、フィアット社が開発したFIAT G.91は本機の図面を参考に開発された。2,504機製造。
F-86E
全遊動水平安定尾翼を導入した型。456機製造。E-1、E-5、E-10、E-15のサブタイプがある。朝鮮戦争の影響により、カナディア社製セイバーMK.2をE-6型として60機購入。
F-86E(M)
イギリス空軍を始めとするNATO向け機体。
QF-86E
カナダ空軍向けのセイバーMk.5を標的機に改造した型。
F-86F
エンジンをJ47-GE-27(推力 2.7t)に強化し、「6-3翼」を導入した型。「6-3翼」とは、主翼の前縁を6インチ、翼端を3インチ延長し、前縁スラットを廃止、境界翼としたものである。F-1、F-5、F-10、F-20、F-25、F-26、F-30などのサブタイプがある。1,800機以上が生産され、三菱重工でもライセンス生産された。
QF-86F
航空自衛隊より返却されたF-86Fをアメリカ海軍向けの標的機に改造したもの。50機改造。
RF-86F
F-86F-30を偵察機に改造した型。航空自衛隊でも18機が同様の改造を受けた。
TF-86F
複座練習機型。F-30型より1機、F-35型より1機改造。計画中止により不採用。
F-86G
D型にJ47-GE-33エンジンを搭載したもの。406機が生産されたが、後にD-60型に改名された。
YF-86H
戦闘爆撃機型の試作機。エンジンの強化や燃料タンク容量の増加などが行われた。2機製造。
F-86H
戦闘爆撃機型。エンジンはJ73-GE-3(推力 4.0t)を使用。473機製造。低高度爆撃システム(LABS)や核爆弾投下システムの搭載が行われている。
QF-86H
H型を無人標的機型。29機が改造され、アメリカ海軍で使われた。
F-86J
F-86A-5-NAにオレンダ社製のエンジンを搭載したもの。カナダ空軍向け。計画中止により不採用。
YF-86K
D型の武装を空対空ロケット弾ではなく、機銃に変更したもの。2機を改造により試作。
F-86K
D型の武装を空対空ロケット弾ではなく、機銃に変更したもの。NATO諸国で使用された。ノースアメリカン社で120機、フィアット社で221機製造。
F-86L
D型の改良型。データリンクなどを始めとする電子装置の改良、主翼の改良などを行った。981機改造。
セイバー Mk.2
カナダのカナディア社製。E型相当。290機製造。
セイバー Mk.4
カナディア社製。438機製造。
セイバー Mk.5
カナディア社製。370機製造。
セイバー Mk.6
カナディア社製。655機製造。
CA-27
オーストラリア・CAC社で製造された型。112機製造。
FJ フューリー(F-1)
アメリカ海軍向けの艦載機。正確に言うとFJ-2〜4までがF-86の派生型である。FJ-1はF-86の採用に先立ってアメリカ海軍に採用された戦闘機である(詳細は上記・開発の欄を参照)が、低性能のため実戦機としては使用されず、練習機として使用された。後に改良されたF-86が空軍において素晴らしい性能を発揮したのを見て、海軍もほぼ同じ機体をFJ-2〜4として採用している。1962年の命名規則改正でF-1に呼称変更。
その他:ユーゴスラビアにおいてF-86Dを偵察任務に改造した独自の機種が開発された。なお、同国は社会主義国でありながら独特の中立政策を採ったため、1950年代にF-86やF-84、T-33などを米国から供与された経緯を持つ。
日本
展示されるF-86F-40「旭光」日本においては、航空自衛隊の主力戦闘機としてF-86Fを435機、全天候型戦闘機としてF-86Dを122機配備した。航空自衛隊が運用したF-86Fは、主翼前縁に自動スラットを装備し、両翼端を12インチ延長した6-3ウイングと呼ばれる主翼を持つF-86F-40が主力だった。F-86Fのうち18機は偵察機RF-86Fに改造された。自衛隊での正式な愛称は旭光(きょっこう)。
F-86F
1954年(昭和29)に誕生した航空自衛隊の主力戦闘機として、翌1955年(昭和31)にF-86F-25/-30が30機、F-86F-40が150機の計180機のF-86Fが米空軍から供与された後、日米の経費分担により、同年から1957年(昭和32)まで三菱重工業にてF-86F-40を70機ノックダウン生産、続いて国産品を使用したライセンス生産第1次生産分で110機、ほぼ全ての部品を国産化した第2次生産分(生産できない部品は米国の無償援助)で120機、1961年(昭和36)までに総勢480機が配備された。しかし、機数を急激に増やしたためパイロットや整備員の育成が追いつかず、供与機のうち45機を米国へ返還したため、435機の運用となった。-25/30仕様の機体は、後に三菱によって-40仕様に改修された。
航空自衛隊では、1956年(昭和31)1月10日に浜松基地にて第1、第3飛行隊が編成され、同年8月25日に同じく浜松基地で第2飛行隊が編成。その後、1961年(昭和36)までに第4、第5、第6、第7、第8、第9、第10飛行隊が編成された。
1962年(昭和37)から後継の主力戦闘機F-104Jが配備後は、F-86F飛行隊の解散が始まり、支援戦闘機として、要撃戦闘機としてのF-104Jの補完と、能力不足ながらロケット弾や爆弾を用いた対艦攻撃の任務についた。しかし、国産の支援戦闘機F-1の配備が始まり、1977年(昭和52)10月1日に第3飛行隊が、1980年(昭和55)2月29日に第8飛行隊が、11月13日に第6飛行隊がF-1に機種転換をしたことにより、実戦部隊からは退いた。旧F-86F部隊のうち、支援戦闘機部隊となった第3・第6・第8飛行隊以外はすべて解隊された。ブルーインパルスの初代機体でもあり、東京五輪にて大空に五輪旗を描いたことでも有名で、長く活躍したことから「ハチロク」と呼ばれて親しまれた。最後までF-86Fを運用していた入間基地の総隊司令部飛行隊では、1982年(昭和57)3月15日に引退セレモニーを実施し、全機退役した。
RF-86F
F-104J/DJの導入によって余剰となるF-86Fのうち、18機は写真偵察機のRF-86Fに改造され、1961年(昭和36)11月6日から1962年(昭和37)3月にかけて引き渡された。オリジナルのRF-86は主翼が-30仕様だが、航空自衛隊では-40を改修した。偵察航空隊第501飛行隊と航空総隊司令部飛行隊に配備され、RF-4Eの整備によって退役した。
F-86D
日本が初めて得た全天候戦闘機型のF-86Dは、1958年(昭和33)から供与が始まり、1958年8月1日に第101飛行隊を編成後、1962年までに第102、第103、第105飛行隊の計4個飛行隊が編成、計122機が配備された。配備された122機のほとんどがF-102への機材変更で不要になった在日米軍の中古機体を供与されたものであった。電子機器に使用された真空管は湿度の高い日本で故障を繰り返し、自衛隊へのF-104配備や部品の枯渇もあって、運用は1968年(昭和43)までの10年間と言う短い期間であり、F-86Dを配備した部隊もすべて解隊された。ただ、本機の運用実績から、全天候戦闘機運用のノウハウを得る事ができたため、航空自衛隊にとっては極めて意義が高かったと言える。
全幅:11.3 m
全長:11.4 m
全高:4.5 m
主翼面積:26.7 m?
最大離陸重量:6,300 kg
エンジン:J47-GE-27
推力:27.1 kN
最高速度:570 kt
実用上昇限度:14,330 m
航続距離:1,026 nm
固定武装:12.7 mm M2機銃 6門
爆弾:最大 900 kg
乗員:1名
『追撃機』:朝鮮戦争を舞台にF-86装備の飛行隊の活躍を描く。米空軍による実機を使用した空戦シーンを見ることが出来る。なお、この作品で敵役のMiG-15に扮するのはF-84Fサンダーストリークである。
『ゴジラ』:1954年の第1作から登場。この後の昭和の東宝特撮映画でも、防衛隊(防衛軍=自衛隊)の航空兵力として登場。
また、「ウルトラシリーズ」や「昭和ガメラシリーズ」においても、航空自衛隊(防衛隊・防衛軍)の主力戦闘機として、F-104JやF-4戦闘機と共に、幾多の怪獣を迎撃した。『ゴジラ対メガロ』ではF-86Fのラジコンも武器として用いられている。
平成に入り、松竹制作の変身ヒーローもの『魔弾戦記リュウケンドー』にて、あけぼの町を防衛する戦闘機として登場した。
『今日もわれ大空にあり』:航空自衛隊浜松基地を舞台にした映画。公開当時(昭和39年)の航空自衛隊の主力要撃戦闘機であった。